震災復興ボランティア 〜宮城県岩沼市〜

'11/06/03
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1日目  2日目  3日目



1日目

人生初ボランティアへ。行先は宮城県岩沼市。
過去岩手県民だったこともあり、当初よく魚介料理を食べに行った三陸周辺を予定してたが、如何せん距離が遠い。
3日間の限られた時間、フルで活動することを考えると、福島のいわき、相馬を考えたが、放射線の影響でテント禁止、車中泊禁止とのこと。
ネットでいろいろ調べていると、連日マスコミに取り上げられている石巻、東松島には多くのボランティアが来ているが、少し南の岩沼、亘理、山元辺りはあまり注目度も低く、ボランティアの数も徐々に減ってきてるので、もっと来てください!との書き込み。
確かに首都圏のニュースでは、岩沼近辺はあまり取り上げられておらず、目にする機会も少ない。

俺らがボランティア先をその辺に絞り始めた頃、妻の友人のAちゃんから今岩沼で写真復旧ボランティアをやってるよ〜、来て来て!との連絡。
テント村の様子、ボランティアセンターの様子を彼女から直接聞くことで、具体的なイメージが湧き、安心して出発することができました。(感謝)



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前夜22時に横浜自宅を出発。
東北道は栃木を超え福島へ入った途端、道路がところどころ段差で車が跳ねる跳ねる。

三週間前に那須まで行ったばかりだが、その時は全く感じられなかった。
やはり福島以北の揺れがひどかったってことか。
段差が徐々にひどくなり、震災の中心へ向かっている感じで、緊張感が高まってくる。


深夜2時過ぎ白石I.C.で下り、R4を北上。
こんな時間にテント村へ行くのはまずいので、岩沼市少し手前の大河原町のコンビニ駐車場で仮眠。
この辺りは全く震災の傷跡はない。
普通にコンビニもオープンしており、周辺の建物も全く普通。
ホントに被災地に近づいているのか!?

6時起床。
R4を更に北上し、いよいよ岩沼へ。
岩沼市内に入るも未だに被災地はどこ?な感じ。
スーパー、レストラン、ファーストフード、ガソリンスタンド、小売店・・・
全く通常と変わらず営業しています。



7時、テント村に到着。
新興住宅地なのだろうか、区画整理された道路には新しい住宅ばかり。
そんな閑静な住宅地の中にボランティア用のテント村があります。
広い野球場くらいの敷地には、既に10数張りのテントが。ご苦労様です。
早速俺らもテントを設営。
今回は山テントじゃなく、二人では十分過ぎる大きさのレジャーテントです。
下は芝生でふかふか。ぐっすり眠れそうな天然ベッドです。
テント場には水道、トイレ完備。
トイレ横のあずまやにはボランティアの方々へのさまざまな情報が張り出されています。

買い物場所、お風呂情報、テント場のルール等々。
素晴らしい!情報共有は大事ですね。

 

 

ボランティアセンターの受付は8:30から。
さて、勝負服に着替えていざ行きますか!!

 

 

テント村からボランティアセンター(以降略:ボラセン)までは約200mほど。
歩いて3〜4分です。
その間に仮設住宅が20数棟建っています。
情報によると昨日の時点で避難所から全員仮設へ引っ越し完了したそうです。素晴らしい!!

まだ作業していない俺らにも「ご苦労様です」の声。う〜、涙が出そうになります。
自然と一気に士気アップです。

 

 

ボラセンには8時半ちょい前に到着。
平日にも関わらず、既に20人ほどが並んでいます。
少しでも被災者の役に!と言う気持ちから、自分の時間を犠牲にして、かつここに来るまでの交通費も自費。
思っててもなかなか行動にできる人は少ないと思います。
ここで並んでいる人は善意の塊なんですね。
自分達もそれらの一部になれたことがホント嬉しいです。

日本はまだまだ捨てたもんじゃないです。

 

 

8時半になり、まずは受付へ。

ロビーにはボランティア向けにお風呂情報、タクシー情報、買い物情報が細かく掲示されています。

ここ岩沼は災害ボランティアとしては珍しく、自分でやりたい作業を選ぶことができます。
と言っても、個人宅片付け(泥カキ)か、写真復旧(洗浄)の2つが主な作業ですが。

 

 

俺らは迷いなく泥カキの列へ。9:1の割合で泥カキに並ぶ人がほとんどです。
まぁ男は基本泥カキですね。俺最終日は写真に行きましたが。。。
女性の方一人でも泥カキに並んでいる方も結構いましたよ。かっこいいです。

 

 

受付では名前、住所、作業可能時間、ボラ保険加入済みか、を記入します。
自分の都合に合わせて、午前のみ、午後のみも可能です。

受付後、ガムテープにマジックで名前を書き、服、帽子に貼り付け、次のマッチングまで1列に並びます。

マッチングとは名ばかりで、基本泥カキで受付済の方ばかりなので、依頼された人数を先頭からピックアップして行き、依頼内容によって5〜15人の作業班に分けられていきます。
グループは同じ班になるよう考慮してくれます。
あまりに大人数だとマッチングするスタッフも、人数配分に苦労してました。
MAXでも5人ぐらいまでですかね。

 

 

マッチング後、ミーティングとなります。
ミーティングでは依頼内容の簡単な説明、リーダー決めがあります。
基本リーダーはその班の年長者、またはボランティア経験豊富な方がなります。
リーダーの仕事は、現地で依頼主からの作業詳細を聞き、メンバーへの指示、仕切り、適時休憩取り、作業終了後はボラセンへの報告と、多岐に渡ります。
他の被災地では、リーダーが作業内容から判断して、必要な用具選定をしなければならないところもあるようです。
そうなると、リーダーの力量によって、作業効率も大きく変わってくる。そこまで任せるのはどうかと。
ここ岩沼ではスタッフが依頼主から事前に作業内容を詳細に聞き、必要用具まで選定して、先回りして軽トラで運んでおいてくれてます。
素晴らしいシステムが機能してます。
まだここまで余裕がない被災地では仕方ないとして、本来はこうあるべきだと思います。
今回俺はボランティア初経験なので、いろいろ勉強させてもらいました。次回はリーダー経験してみたいですな。

受付からマッチング、ミーティングまで流れ作業的にシステマチックにホント上手く回しています。
受付待ち、マッチング待ち、ミーティングにそれぞれ約10分。ボラセンが開いてから出発まで40分ほどです。

 

 

他の被災地は分かりませんが、ここ岩沼のボラセンはゴム長靴、ゴム手袋、防塵マスク、防塵ゴーグル、必要なものは全て準備してくれてます。
汚れてもよい服だけあれば、いつでも誰でも参加できます。
俺らは長靴、手袋、マスクは自前で持ってきたので、ゴーグルだけ借りました。

俺らは、本日午前の作業は俺ら含め6名のチームとなりました。
山形のNさん(リーダー)、埼玉のNさん、愛知のIさん、地元岩沼の女性Sさん、と横浜の俺ら二人。
日本全国いろんなところから来ています。

 

 

いくつものチームが数台の送迎マイクロバスに分乗し、各依頼主宅へ向かいます。
俺らの依頼主はボラセンからバスで約5分。
当然海側の被災地へ向けてバスは進んで行くのだが、仙台東部道路を超えると風景が一変。
目に入ってくる色が緑から一気に灰色へ。

 

 

初めて被災地を目の当たりにしました。ここを津波が人、家、車を押し流しながら駆け抜けて行ったのかと思うとショックで言葉が出てきません。

 

 

崩れた家。壁がなく柱だけになった家。湖のように水が張ったままの畑。そこにぽつんと島のような車。茶色に枯れた防風林・・・。

 

 

ここは先進国の日本なんだろうか。。。
途上国の洪水被災地ではないのか。。。

ニュース映像で見ていましたが、生で見るとあまりの衝撃で心の動揺が抑えきれず、自然と涙が溢れてきました。
おいっ、俺。作業出来るんか!?

 

 

ボラセンを出発して約5分でTさん宅に到着しました。
いきなりの門が、津波の高さを示してます。
この辺りで約1mくらいだったとのこと。

ボラセンから派遣されて参りました!
2時間の作業ですが、 よろしくお願いします。

早速作業内容をリーダーが聞き、瞬時に手順と役割を決め、指示を出す。
Nさん、かっこいいです。

 

 

家の裏にあるガレキ、泥の山を表の道路に運んでもらいたい、とのこと。

裏に回り、現場を確認。
山は大きいのが4つ。
これくらいなら1時間と掛からないだろう。とこの時は軽く見ていた。

どこから流されてきたのか、大量のたくあん、ビニールに入った肥料、畳、ビニールハウス、木片・・・。
たくあんと肥料が腐りきって、強烈な悪臭を放つ。
吐きそうになりながら涙目で、黙々作業を続ける。
表面は乾ききり、固くなった泥をスコップで崩し、 一輪車に積み込み、ある程度溜まったら、表道路まで運搬。
田舎の大きな家。泥現場から表道路まで約100m。運搬がホントきつい。
永遠それの繰り返しです。

 

 

永遠続く砂の荒野。
ここには畑、田んぼが広がっていたそうな。
ちょうど今頃は緑一面だっただろう。

 

 

妻もがんばります。
腕の贅肉落ちろ〜、と言いながら。(^_^;)

 

 

1時間に10分の休憩が義務づけられてます。
まぁ無理せずその人に合ったペースで、適当に休憩しながらでも全然構いませんが。

皆さん遠い所からホントありがとうございます。
暑いでしょう、お疲れさま。と、Tさんが、飲みなはれ、食べなはれ、といろいろ出してくれます。
もうホント気を使わなくていいですよ!と言っても、次から次へと。(^o^)

いろいろとお話を聞かせてもらいました。
当日のこと、それからのこと。
こう言う生の声を聞くことはホント大事だと思います。

2時間で運べたガレキの山は2つ半。
1時間くらいで余裕で終わると思ってましたが、甘かったです。
固まって崩すのに時間が掛かったこと、運搬に往復200mで時間が掛かったこと。
やってみないとわからないですね。
残りは午後の班に任せて、迎えに来てくれたバスに乗り込む。

Tさん、ゆっくり一歩一歩でも先に進んで行けば、いずれ必ず光りが見えてきます。
がんばりましょう!

最後まで見えなくなるまでお辞儀してくれてました。
涙もろい俺、ちょっとやばかったです。(^_^;)
こちらこそ、ありがとうございました。

 

 

昼休みのボラセン。
午後の受付は12時半からです。

俺らテントへ戻り、昼食。

 

 

熱い言葉がぎっしりです。

 

 

熱いボランティアさん達です。

 

 

午後は阿武隈川河口近く、海近くのKさん宅へ。
午前のTさん宅より更に海に近い場所で、被害も尋常じゃないです。

家周辺のガレキ撤去。
作業規模が大きいので14名のチーム編成です。

 

 

このあたりは2m以上の津波だったとのこと。
Kさん宅は壁が全て破られ、残ったのは柱だけ。
よく耐えたな〜。

さすがに14人もいればはかどります。
2時間の作業で家の裏にあったガレキはほぼ撤去完了です。

 

 

休憩時間には何とスイカの差し入れ。
ホント気を使ってもらうのが申し訳ないです。
疲れた体にスイカは何でこんなに美味いのか。
ご馳走様でした。(^o^)

ビニールハウスは見るも無惨に鳴ってしまったけど、絶対復活させますよ!
数年後にまた来てください!作った野菜食べてみて下さい!
との頼もしい言葉。
いや〜、嬉しい言葉です。泣きそうになります。
絶対来ますよ!!

こちらもKさん直立で見えなくなるまでお辞儀してくれてました。
こちらこそありがとうございました。

 

 

ボラセンに戻ってくると、スタッフの皆さんが長靴にこびり付いた泥を洗浄機で洗い流してくれます。
これはありがたいサービスです。

 

 

疲れているボランティアの皆さんに、なるべく余計な労力を掛けさせまいと、伝わってきますね。気持ちいいです。
ここ岩沼のボラセンはホント上手く機能しています。

 

お風呂は車で10分程の名取市の極楽湯へ。
いや〜、力仕事の後の風呂は最高に気持ちいい。
こんなに充実した仕事は久々だ。
正直キツイ、汚い力仕事だけど、被災者の喜んでくれる顔を見ると、そんなもんどっかへぶっ飛んじゃうね。
俺らは数日だけ頑張ればいいけど、被災者はこれから数ヶ月、数年も頑張らなければならない。
それを考えると、もっともっと力にならなければ。

明日もがんばるぞ!(^o^)

 ’11.6.8記



2日目

うっ、体が痛い。
昨日張り切り過ぎて、筋肉痛だ〜。
日頃の運動不足が祟ったな。

しかし昨夜1時頃の地震は久々びっくりした。
地面に全身付けて寝てるんだもん。そのまま直に震えました。

 

 

物干しにタオル。
完全所帯じみてきましたな。(^_^;)

今日もいい天気。
さて、頑張りますか!!

作業着に着替え、8時過ぎにボラセンへ向かいます。
今日は土曜なので昨日の倍以上120〜130人のボランティアが集まっています。
今日は俺らは受付では名前と、作業可能時間の記載のみです。
昨日からの継続なので、住所等は記載しなくてもいいです。

 

 

マッチング、ミーティングを行い、現場へ向かいます。
今日午前の派遣先はSさん宅。
総勢12名のチーム編成です。
作業内容はビニールハウスの畑だったところに溜まった土砂、ヘドロの掻き出し。
押し流されたビニールハウスは既に撤去したとのこと。
これから畑を再開するのに、溜まった土砂を約10cmほどの深さまで掘り出して欲しいとのこと。
重機で掘ればいいんでは?と素人考えで思ったが、聞くと重機を入れると重さで踏み固められて、畑としてはもう使えなくなるとのこと。なるほど。
幅10m長さ80mほどの広さ。深さ10cmなので単純計算80立方mか。
計算したが、人手でそれが少ないのか、多いのかピンとこない。

 

 

この辺りも妻の身長以上、1.7程の高さまでゴミがたかっています。

 

 

リーダーの指示で固まった土砂をほぐす班、ほぐした土を一輪車に積み込む班、一輪車で捨て場へ運ぶ班に分業が決定。
ここ数日の晴れで土が固まり、スコップは全く歯が立たず、フォークで何とかほぐしていきます。
足首くらいまでの深さまで掘り、徐々に掘り進めて行きます。
最初の休憩まで約50分。進んだ距離は5mにも達してません。
いや〜、たった10cmの深さを掘るのにこんなにしんどいのか。
重機ならヒトすくいなのに。改めて重機のパワーのすごさを思い知ります。

やがて2時間の作業を終え、結局掘り進んだ距離は10m程。
午後のチームに任せましょう。

 

 

午後からも頑張ろうと思っていたのだが、持病の腰痛が再発しそうだったので、午後の活動は中止しました。
明日午後から被災地を生で見に行こうと思っていたが、今日の午後から行こう。
明日は午後も作業に充てよう。

仙台若林区のあまりにひどい惨状を抜け、多賀城、塩竃、松島、東松島、石巻まで来ました。
TV画面で見るはるかにひどい、想像以上の被害です。
この辺りは壊滅的で、家を片付ける、泥を掻く、がれきを取り除くと行ったボランティアができることは正直無いように感じます。

 

 

まさに爆撃の跡です。

 

 

頑張ろう!!

 

 

よくテレビで紹介されていた門脇小学校です。
真っ黒に焼けてます。

 

 

この様な惨状が永遠続いてます。
言葉が出て来ません。

 

 

ガレキの山と、道にはタンクが転がっています。

 

 

住宅地に船です。

この辺りの住宅地は建物は残っているようです。
ただ津波で1階は完全水没。

まだまだやること、やらなければならないこといっぱいです。

 

 

帰りは仙台市内の利久で名物牛タンを食べてきました。

 

 

牛タンシチュー。とろっとろの牛タンがたまりません。(^o^)

 

 

牛タン煮込み。

 

 

牛タン焼き1.5人前追加です。
宿代かかってないのと、お金を落とす目的で、アホほど注文しました。
でも2人で¥5000でした。



帰りに昨日と同じく名取の極楽湯で汗を流し、テントには20時に到着しました。

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3日目

今日は昨日までの泥カキではなく、写真復旧の方でお願いしました。
いろんなことを経験したかったので。。。

市役所の目の前、勤労青少年ホームへ移動します。
ボラセンからは歩いて15分ほどです。
車で行ってもOKとのことで、俺らは車で移動しました。

写真復旧班と、写真展示棚制作班に分かれます。
復旧班は経験者がいいとのことで、俺らは展示棚制作班に入りました。

 

雛形に合わせ、段ボールに線を引き、カッターで切り取って行きます。
これを考えた愛知から参加のNさん、すごいです。
毎週末、車であったり飛行機で来てるそうです。
ホント頭が下がります。

 

 

ちゃんと採寸しろよ〜。
ちょっとでもずれると、棚が入らないんだから!

 

 

棚足を入れる為の穴を壁板に開けて行きます。
穴開けはかなりの力が要ります。
ちゃんと腰入れて〜!

 

 

出来上がった展示棚です。
これで思い出探しにきてくださった被災者さんが少しでも見やすくなるかな!?

今日は日曜なので、多くの方が思い出探しにきてくれました。
これも先週までこちらでがんばった、妻の友人のAちゃんのチラシ配りによるところが大きいんじゃないかな!?(^o^)


自分達が作った展示棚を撮るのが精一杯で、さすがに写真いっぱいの部屋は重くて撮れませんでした。
結婚式、学校行事、旅行、お子さんの成長記録、たわいもない写真・・・、そこには幸せそうな、ごく普通の日常がありました。
それが一瞬で奪われてしまうなんて。。。
ここに写ってる方々は今はどうされているんだろう。無事でいらっしゃるだろうか。
そんなことばかり考えてしまいます。

午後15時過ぎまでお手伝いし、テント村へ帰ってきました。
早速テントを撤収し、16時にテント村を出発。
グリーンピア岩沼へ汗を流しに。あ〜、サッパリ。(^_^;)

17時に岩沼を後にし、R4号を南下。
18時に白石I.C.から東北道に乗り、多少の渋滞はあったものの、22時半には自宅横浜に到着。


今回初めてのボランティアを終え、正直長距離ドライブに加え、泥掻きはキツい作業です。
しかし、喜んでくれる顔、感謝とこれからの頑張りの言葉にこちらが元気をいっぱいもらった気がします。
また、生の被災地を見ることで、まだ手が届いていない、ボランティアの力が必要なところがまだまだあることを痛感しました。
少しでも時間を作って、週末だけでも行ければと思っています。
なかなか金曜夜発、日曜帰着はすぐ満席で取れないようですが。。。

 ’11.6.12記



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